2017年長円寺紅葉情報

 当山は慶安二年(1649)、武田慶尊法印が高野山金剛頂院の法流を相続して開山、要穴山胎蔵院長圓寺と号した。

 境内地は諏訪藩二代藩主諏訪忠恒公より新田村として開かれた穴山の地である。

 武田信玄の弟武田備前守は、兄信玄に背き筑摩郡に追いやられたといわれる。その備前守の甥は大和監物三代の孫でもある筑摩郡高出村の大和小兵衛であった。

 小兵衛の子が武田慶尊(俗性大和)である。

 本尊は金剛界大日如来。脇士は不動明王と愛染明王。延亨二年火災のため本堂、庫裏とも焼失。同三年庫裏、四年(1747)には本堂を再建し火伏せのため山号を清龍山と改める。

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仏典のことば 油断

 真言宗豊山派「光明」より

 

王様の命令

  むかし、ある王様が油のいっぱい入った鉢を家臣のひとりに渡し、「これを持って通りを歩け。一滴でもこぼしたら、お前の命を絶つ!」と命令しました。

  鉢をささげた家臣のうしろには、刀を抜いて今にも切りかかろうと身がまえる男が、ぴったりと寄り添うではありませんか。絶対絶命の家臣は、人ごみの中をあるきはじめました・・・・・

 これは『涅槃経』というお経に説かれた話です。油をこぼしたら命がないなんて、ほんとうに物騒がせですよね。さて、気になるのは、家臣の運命。

  一瞬たりとも気を抜かなかったおかげで、なんとか油をこぼすことなく歩き通すことができたのでした。

  この、油で命を絶たれそうになった話がもとになり、油断という言葉ができました。「気をゆるして、注意をおこたるな」と言う意味で使われます。

 

・・・・・その真意は・・・・・

 

 わがままな王様の不理屈な話のようでうすが、お経に説かれているのですから、当然そこには深い意味が込められています。ご紹介しましょう。

 

  説話の中心となる油は、戒をたとえたものです。 戒めとは、仏教徒がまもるべき大切ないましめ。 ですから「油を一滴もこぼさない」とは、「どんなささいないましめも破らない」ことを意味します。

 

  次に、油がいっぱいに入った鉢は、我々の体と心です。「慎重に鉢をささげ持つ」というのは、「体と心のバランスを丁寧に保つ」ことを指します。

 

  ちなみに、王様は仏で、家臣は修行者のたとえです。

 

・・・フラフラしない・・・・

 

 尽きることがない欲望を胸に、世にあふれる無数の誘惑のただ中で生活している私たち。あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、腰が定まらない生き方になっても無理ありません。それをいましめるのが、この説話です。

 

  雑踏の中でもふらつかず、油をこぼさなかった家臣こそ、一番のお手本。いましめを守り、体と心の調和を整えることが、フラフラしない生き方のヒントであることは、いうまでもありません。

 

  さあ、まっすぐな生き方を心がけましょう。そのためには、もちろん何ごとにも「油断は禁物」です。

 

仏典のことば 油断

 

真言宗智山派清龍山「長円寺」

391-0011 長野県茅野市玉川穴山11373

TEL 0266-79-3720/FAX 0266-79-6720